更新日:2018年10月5日

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カブトビール

カブトビールポスター女性 旧カブトビール瓶 カブトビール法被

半田は古くから醸造業がさかんであり、今もその伝統が受け継がれ、多くの名酒を生産しています。一般的に半田の酒は日本酒を指して言いますが、実は、ビールの製造も早くから手がけていました。

半田における本格的なビールの製造は、明治20年(1887年)に四代目中埜又左衛門と盛田善平(後に、現在の敷島製パンの前身である敷島屋製粉場も開業)によって丸三麦酒醸造所で始められました。明治22年には「丸三ビール」として3000本を初出荷しています。

その後、急成長を遂げ、明治29年(1896年)には、東京のエビス、横浜のキリン、大阪のアサヒに対抗して、丸三麦酒株式会社が設立されました。そして、本格的ドイツビール製造に向け、ドイツゲルマニヤ機械製作所による「完全なるビール醸造器械」を買い入れ、ドイツ人醸造技師を招き、新工場が建設されました。これが半田赤レンガ建物です。新工場建設とともに銘柄も、カブトビールと改められ、明治33年のパリ万国博覧会には、金牌を受賞するほどの品質を誇っていました。その後、社名さえも「加富登麦酒株式会社」改められるなど、カブトビールは東海地方では最大のシェアを持っていました。

カブトビールの名称の由来は、ビールは日本酒と違って喉でのむといわれていますが、喉で勢いよく飲むことを「カブル」ということから、なまって「カブトビール」になったなど諸説あるようです。また、日清戦争後でもあることから、勇ましい「兜」の商標を採用したともいわれています。

参考文献明治期の産業建築旧カブトビール工場の遺構に関する研究竹内尊司愛知県立愛知工業高校教諭)

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