設計者 妻木頼黄(つまきよりなか)
妻木頼黄は、明治建築界の三大巨匠の一人にあげられるほどの著名な建築家です。
幕末に、幕府旗本の長男として生まれ、アメリカやヨーロッパへ渡った後、大蔵省をはじめ数多くの官庁設計を手がけました。
また、ビール醸造や煙草備蓄、税務に関する施設についても、当時最も優れた建築を残し、横浜正金銀行本店(重要文化財)、横浜赤レンガ倉庫等を設計しました。
豆知識 明治建築界の三大巨匠
- 妻木頼黄
- 辰野金吾…九州唐津藩出身。日本銀行本店、東京駅などを設計。
- 片山東熊…長州藩出身。赤坂離宮などを設計。
経歴
- 安政6年(1859年)頼黄、旗本の息子として江戸に生まれる。
- 明治9年(1876年)単身でニューヨークに渡るが、翌年帰国。
- 明治11年(1878年)工部大学校造家学科(のちの東京大学建築学科)に入学。
- 明治15年(1882年)卒業1年前になって同学校を退学し、アメリカ留学。コーネル大学建築学科3年に編入。
卒業ののち、ニューヨークのロバートソン事務所で修行。 - 明治18年(1885年)帰国。東京府土木課に勤務。
- 明治19年(1886年)内閣臨時建築局に入局。
- 同年10月、ドイツに出張命令を受けて、シャルロッテンブルク工科大学建築学部に入学。
この出張は、日本が議院建築などを始めとした本格的な西洋建築様式を取り入れるため、技術者の養成が目的だった。妻木はこの留学で本場のビールを好んで飲んでいたといわれる。 - 明治21年(1888年)帰国。内務省及び大蔵省に勤務し、数多くの官庁設計を手がけるほか、以下の建設事業に携わる。
- 明治23年(1891年)大阪麦酒会社吹田工場竣工。
- 明治29年(1896年)日本麦酒会社目黒工場竣工。
- 明治30年(1897年)妻木が実施設計した丸三麦酒株式会社工場(半田赤レンガ建物)が起工
- 明治31年(1898年)丸三麦酒株式会社工場(半田赤レンガ建物)竣工。
- 明治32年(1899年)日本勧業銀行本店竣工。
- 明治37年(1904年)横浜正金銀行本店(現、神奈川県立歴史博物館)竣工。
- 明治44年(1911年)横浜新港埠頭倉庫2号倉庫(現、横浜赤レンガ倉庫)竣工。2年後に1号倉庫竣工。
- 大正3年(1914年)拓殖大学恩賜記念講堂を設計。
- 大正5年(1916年)山口県旧庁舎竣工。病没。享年57歳。
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