半田赤レンガ建物の3つの意義

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ページ番号1002881  更新日 令和6年2月13日

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明治31年の誕生から100年を超える歳月を経て、今もなお、その大きさと重厚感で見る者を圧倒する半田赤レンガ建物。

ここでは、外観だけでは分からない建物の歴史と価値を、「3つの意義」としてご紹介します。

第1の意義 郷土産業の遺産

明治時代、大都市を控えた既存4大ビールメーカーに挑戦した一地方都市のビール会社がありました。

そのビールとは、「カブトビール」。今となっては幻のビールとなってしまいましたが、その工場は半田赤レンガ建物として現存しており、半田の先人たちが大ビールメーカーに立ち向かった心意気と豊富な財力と技術力を有していたことを雄弁に物語っています。

写真:カブトビールのポスター

建物古写真

第2の意義 建築物としての遺産

半田赤レンガ建物を設計したのは、明治建築界の三巨頭の一人、「妻木頼黄(つまきよりなか)」です。現存する代表作には、横浜正金銀行本店(現在は神奈川県立歴史博物館)、横浜新港埠頭倉庫、東京日本橋(装飾部設計)などがあります。安定した温度と湿度を必要とするビール工場ならではの特徴的な構造を持っており、2重~5重の空気層を有する壁(複壁)や、多重アーチ床(断熱耐火床)など、室全体を外気から遮断し、低温を保つ工夫が随所に見られます。
また、レンガ造建築物としては全国有数の規模を誇ると共に、日本のビール製造の黎明期における数少ない工場の遺構です。

写真:5重の複壁

第3の意義 戦争の遺跡

第二次世界大戦中、ビール工場としての役目を終え、中島飛行機製作所の衣糧倉庫として使用されていた半田赤レンガ建物は、昭和20年(1945年)7月15日、硫黄島からのP51小型機(通称:ムスタング)による超低空での攻撃を受けました。建物北側の壁面には今もその時の機銃掃射跡が生々しく残っています。戦争遺跡といえば、砲台跡、要塞跡、大本営等、戦争実行側の遺跡が注目されがちですが、ここは被害者側という意味で貴重なものといえます。

写真:北側壁面

写真:北側壁面拡大図

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