半田市に残る戦争のつめあと

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ページ番号1007025  更新日 令和6年4月8日

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半田市の戦争史跡について

半田市内に残る戦争の爪痕(戦争史跡)を紹介します。

記念碑

1.平和記念碑

 半田地域の空襲・動員などによる戦時災害被害者全員を刻名した石碑です。
 戦後50周年を記念して、半田空襲と戦争を記録する会の提唱のもと、建立実行委員会が結成され、市民や動員体験者などから募金をいただいたうえで、1995年7月に建立されました。

 半田市に誘致された軍事工場に13府県68校のおよそ1万4千人の学徒が日本各地から招集され、21名が犠牲になりました。

 また、朝鮮人も動員され、半田空襲で48名犠牲になっており、この石碑に名前が刻まれています。

 碑文「平和を願って」にあるとおり、事実を後世に伝え、再び戦争を起こさない決意が込められています。

  • 所在地:半田市雁宿町三丁目204番地1 雁宿公園内
  • 地図

雁宿公園地図


  • 写真

雁宿公園写真

標柱

2.半田空襲

 1945年7月24日10時38分、半田空襲が始まりました。

 爆撃は18分間でしたが、その間に2,200発以上の投弾や小型戦闘機の機銃掃射がありました。

 各地で防空壕が作られていましたが、こちらの地域の方は防空壕を作らず、空襲があった場合は近くの雑木林に避難しようと話し合っていたそうです。

 しかしながら、残念なことに爆撃により多くの犠牲者がでました。

  • 所在地:半田市一本木町三丁目107番地 平地公園内(七本木池東側)
  • 地図

七本木池公園地図


  • 写真

七本木池公園写真


3.東南海地震被災の地

1944年12月7日13時に紀伊半島東沖を震源地として、マグニチュード7.9の地震が発生し、軍事工場等を中心に死者1,223人の被害が生じました。
歴史上繰り返し起きていた駿河トラフと南海トラフ沿いを震源域とする地震で、震度6弱相当以上となった範囲は、三重県から静岡県御前崎の沿岸域一体に及んだといいます。

現在、市役所が立地してる場所は、地震時は、旧東洋紡績工場を転用した中島飛行機半田製作所(山方工場)の工場となっており、多くの犠牲者が発生しています。

戦時中であったため、地震による被害等、地震があったことそのものを政府から固く口外しないように命令されていたため、身内親族にも連絡することはできませんでした。

標柱は平和記念碑建立実行委員会が1996年に設置しました。

  • 所在地:半田市東洋町二丁目1番地 半田市役所庁舎西側
  • 地図

東南海地震被災の地地図


  • 写真

昭和東南海地震の地写真


その他

4.壁面に残る弾痕

1945年7月15日、小型戦闘機3~6機の3編隊が半田市に来襲しました。その際の機銃掃射痕が、建物北側壁面に今も残っています。

地上すれすれの超低空から爆撃されたため、弾痕が下から上に向かっている様子を見ることができ、その実弾が赤レンガ建物内の特設エリアに展示されています。

当時、赤レンガ建物は中島飛行機製作所の衣糧倉庫として使われていました。この9日後の24日には半田大空襲があり、1カ月後の8月15日に終戦をむかえます。

  • 所在地:半田市榎下町8番地 半田赤レンガ建物(北側壁面)
  • 地図

赤レンガ建物地図


  • 写真

赤レンガ建物写真


5.中島飛行機半田製作所(本工場)跡地

1943年、戦争が始まってから現自動車工場の広大な敷地に誘致されました。

中島飛行機半田製作所では、攻撃機「天山」が977機、偵察機「彩雲」が414機生産されました。

中学生から高校生の学徒や、14歳から25歳の未婚女性、朝鮮半島からの徴用工が招集され、約3万人が従事していました。

1945年7月24日の半田空襲では、本工場には1665発もの爆撃がありました。その日は空襲警報が早く出ており工場は休みとなっていましたが、仕事の内容によっては休むことができない人もおり、8名が空襲の犠牲になりました。

  • 所在地:半田市上浜町等
  • 地図

中島飛行機半田製作所(本工場)跡地地図


6.中島飛行機滑走路、エプロン

中島飛行機製作所の滑走路跡が、現在でも航空写真等で見て取ることができます。

  • 半田市東億田町~中午町等
  • 地図

中島飛行機滑走路地図


7.中島飛行機製作所(山方工場)跡地

山方工場では、飛行機の胴体部分が製作されていました。

1944年12月7日に発生した昭和東南海地震では、工場のレンガ壁が崩壊し、153人もの多くの従業員が亡くなりました。

跡地には、半田市役所や半田病院が建設されています。

  • 所在地:半田市東洋町等
  • 地図

中島飛行機半田製作所(山方工場)跡地地図


8.建物疎開跡地(平和通り)

空襲による火災が延焼しないことを目的として、JR半田駅から源兵衛橋までの建物が取り壊されました。

取り壊される前は、住宅や商業施設がひしめきあう場所で、新美南吉作「ごんぎつね」の作品の舞台になった場所と言われています。

このような建物疎開は半田市の各地で行われ、700戸3,000人あまりの人が転居を強制されました。

転居に係る費用等は個人持で、転居先のあっせんもなく、親族を頼るほかありませんでした。

  • 地図

平和通り地図


9.非核平和都市宣言啓発等

下記のページをご覧ください。

10.モニュメント

平成8年3月28日から名鉄知多半田駅東側のおおおまた公園に設置され、令和6年に半田市役所来客駐車場に移設されました。

モニュメントには、第二次世界大戦を経て、改めて世界平和を守り抜くことが宣言され刻まれています。

  • 所在地:半田市東洋町二丁目1番地 半田市役所来客駐車場内
  • 地図

モニュメント地図


  • 写真

モニュメント写真


11.被爆樹木

下記のページをご覧ください。



以上の史跡は、半田市が発行する図書でも紹介しているほか、毎年7月24日の半田空襲の日の前後に実施している半田の戦争遺跡見学会(バスツアー)で巡回見学しています。

図書については、下記のページをご覧ください。

半田の戦争遺跡見学会(バスツアー)は日程が決定次第、半田市報や半田市ホームページに掲載しますので、詳しくはそちらをご覧ください。

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