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(2010年7月26日更新)

紺屋海道

紺屋海道とは

 

半田市堀崎町周辺、上半田(かみはんだ)と呼ばれるこの界隈にあるのが、「紺屋海道」です。紺屋は「こうや」、「こんや」と呼ばれます。「紺屋」は名前の由来については、古くからこのあたりに、船の帆を染めた染物屋が数軒あったことから、「紺屋」の名が付けられたと地元では伝えられています。江戸時代、当時の上半田(坂田郷)のメイン通りであったこの道は、半田港が開かれるまでの間、千石船の出入りする大野港と下半田を結ぶ交通の要所として、多くの人々が行き交う賑やかな通りであったといわれています。現在では、お寺やお社などが点在し、昔ながらの街並みが残る静かな通りとなっています。

 

↓こちらから周辺図がダウンロードできます

PDF文書紺屋海道マップ(377KB)

 

紺屋海道写真

▲古民家や蔵の残る紺屋海道。

 

紺屋海道の謎

 

このように、地元では、今日まで紺屋海道の名が語り継がれていますが、歴史資料には、その名の痕跡が見つかりません。現在まで、この名が残るのは、中寺(摂取院)での同行や防火のための組織としての秋葉講に紺屋海道講という名前がつけられたことが幸いしています。実際の海道ルートには、地元でも諸説あり、はっきりしたことはまだ判明していませんが、長い年月、語り継がれていくうちに、現在の通りがそう呼ばれることになったようです。近くの薬師寺には、寺の付近がもともと港であり、すぐそこが海岸線であったという縁起なども残っています。もともと農村であったはずの坂田郷(上半田)の、どこに紺屋があったのか、どこが本来のルートなのかなど、まだまだ、この海道には謎がたくさん秘められています。こうした謎もこの海道の魅力の一つなのかもしれません。

 

南吉も歩いた道 新美南吉記念館ホームページ(外部ページにジャンプします)

 

「ごん狐」「手袋を買いに」で知られる半田市出身の童話作家、新美南吉はこの道に所縁のある一人です。南吉は、晩年死に至るまで、半田の町一番の名医といわれた丹羽医院に再発した結核の治療に通院していました。南吉は、丹羽医院の看護婦さんの一人に好意をいだき、この紺屋海道を通り住吉神社の森の小径を2人で一緒に歩いたという話も残っています。 また、当時教師をしていた南吉は、勤務先の安城女学校へ通うため、現在のJR半田駅に行く時や、行きつけの喫茶店「カガシヤ」(移転し、新店舗にて現在も営業)にコーヒーを飲みに行く時、同盟書林(現在も営業)に本を買いに行く時などもこの紺屋海道を利用していたようです。

担当課情報

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